【台湾3日目】優しさの連鎖と、恩送りの誓い

スタート地点と、背中を押してくれた友人

朝8時30分、ホテルをチェックアウト。
9時頃、本日の出発地点である松山駅に到着した。今日からリュックサックの背面に、旅の目的を記したラミネート加工のプレートを掲げて歩くことにした。

意気揚々と出発したものの、序盤からSNSに気を取られ、予定より遅れが生じてしまった。
まずは、昨日荷物を預かってくれた友人のもとへ向かい、荷物の入れ替えを頼んだ。客観的に見れば無理難題な要求だったはずだ。しかし彼は嫌な顔ひとつせず、それどころか全力で私の挑戦を応援してくれた。

彼の懐の深さと優しさに触れ、「本当に素晴らしい人だ」と胸が熱くなる。彼に見送られ、私は再び歩き出した。

橋の上での邂逅

12時30分頃、橋の上である男性と出会った。
かつて日本で教鞭をとっていたという彼は、驚くほど流暢な日本語を話した。会話を重ねるうち、彼のお父様と私との間に共通点があることが判明し、話に花が咲いた。

「台湾は、中華文化と日本文化が融合した場所なんだよ」
「昔、多くの九州人が台湾へ渡り、日本文化を広めたんだ」

彼が語る歴史は興味深く、もっと耳を傾けていたかったが、先を急ぐ旅の途中でもある。名残惜しさを感じつつ、彼と別れた。

4時間の並走と、与えられすぎる優しさ

その後、幼稚園で働く男性と出会い、4時間近くも共に歩くことになった。
道中、何気なく「日差しが強いので帽子を買いたい」と漏らすと、彼は驚いたことに、自分の大切な帽子をその場でプレゼントしてくれたのだ。それだけではない。手作りの工芸品を贈ってくれたり、食事をご馳走してくれたりと、彼の親切は留まるところを知らなかった。

彼は日本語が少し話せたため、現地の人に話しかけられた際には通訳まで買って出てくれた。出会ったばかりの私になぜここまで尽くしてくれるのか。歩きながら、私はその理由を考えずにはいられなかった。

林本源園邸と「折り鶴」の葛藤

名所「林本源園邸」に到着したが、時間の遅れにより入園は断念した。
近くのベンチで休憩していると、老夫婦や年配の女性が話しかけてくれた。感謝のしるしとして折り鶴を渡すと、彼らは大変喜び、あろうことか金銭的な支援やキーホルダーまで手渡してくれた。

ここで私の中に、ある種の「申し訳なさ」が芽生えた。
私はただ喜んでもらいたかっただけだ。それなのに、台湾の人々はそれ以上の価値あるものを返してくれる。
資金面の不安からサイト内に「金銭的支援」ボタンを設置していたが、現地の方々からこれほど多大な支援を受けると、「もらいすぎている」という罪悪感が勝ってしまう。支援ボタンは撤去すべきではないか、と本気で悩み始めた。

台湾の人が優しい理由

なぜ、台湾の人たちはここまで優しいのか。
一緒に歩いていた彼が、その答えを教えてくれた。

「昔、日本人に助けてもらったことがあるから、その恩返しとして君を助けているんだよ」

その言葉に、私はハッとした。
今、私が受けている最高のサポートは、私自身の手柄ではない。過去の日本人が台湾の人々に施した恩恵を、時代を超えて私が受け取っているに過ぎないのだ。

私は強く心に誓った。受けた恩を決して仇で返すようなことはせず、次へと繋がなくてはならない、と。
この旅で私は多くの助けを得るだろう。だからこそ、私が日本で困っている台湾人を見かけたら必ず助ける。いや、台湾人に限らず、日本で困っている外国人がいれば手を差し伸べよう。そうして感謝された時、その恩恵は巡り巡って、次世代の日本人へと返っていくはずだ。

「恩送り」の循環を止めてはならない。
彼と別れる時、寂しさがこみ上げた。彼はただの道連れではなく、大切なことに気づかせてくれた恩人だった。

夜のトラブルと救い

彼と別れた後も、優しさの連鎖は続いた。
原付に乗った女性がわざわざ追いかけてジュースを届けてくれたり、別の方からは愛用のライトと缶コーヒーを頂いたりと、感謝してもしきれない。

20時頃、ようやく目標地点に到着。しかし、ここでトラブルに見舞われた。予約していた民宿が実在せず、アプリの情報に誤りがあったのだ。
途方に暮れる私を救ってくれたのは、現地の住民の方々だった。事情を親切に教えてくれ、私は急遽別のホテルを確保し、事なきを得た。住民の方々にはご迷惑をおかけし、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

旅の終わり

波乱の一日の締めくくりは、旅の開始前にアプリを通じて知り合った友人との夜市観光だ。
多言語を操る天才的な彼との会話、そして夜市の活気のおかげで、疲れもトラブルのストレスも吹き飛んだ。

人の温かさに触れ、自身の在り方を問うた、忘れられない一日となった。

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